世界一フロアに飛び込んでるロックンローラー
⏤ THE DO’sが夙川BOYSに憧れて結成したように、夙川BOYSにもスタートする際に影響を受けたバンド、またはマーヤさんがベースレス編成のバンドをやるようになったきっかけとなる存在はいましたか?
まずは、、、夙川BOYSに影響を受けたと言ってくれている。こんなに嬉しいことはないです。ありがとうございます。
夙川BOYSは変な始まり方をしたバンドなんで、、、最初は一夜限りで終わる予定であまり何も考えてなかったのですが、続けるにあたり、男女ツインヴォーカルの最高峰、BARBEE BOYSに影響を受けつつもオシリペンペンズやあふりらんぽがオブリヴィアンズ みたいに楽器を取っ替え引っ替えしながら、俺の大好きなロックンロールやポップス演奏しだしたら、、、というのを目指してました。あとは演奏力なんて言い訳程度!というのが最重要テーマだったかもしれません。
俺がベースレスのバンドをやるようになったのはKING BROTHERSの西宮の大統領ケイゾウに出会ったからです。なので、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンからの影響ということになります。
⏤せっかくの機会なので夙川BOYSのお話を少しさせてください。マーヤさんが私に先日「⾃分が夙川で感じていた当時のスタイルでの到達点からの限界地点があった」とお話ししてくれました。それは夙川BOYSが無期限で活動休止するに至る経緯だったかと思うのですが、今だから⾔えること、思えること、、、どういう状況だったのか、当時のことをお聞きしてみたいです。
そもそもロックンロールに限界はないとは思ってる、、、を前提に。
当時の我々が与えられた条件下でメジャーシーンにそのまま飛び込んで、そのままの表現やスタイルでやれた最高到達点があそこまでだったんじゃないかなと、、、アイデアを練って過酷な予定をなんとかこなしてはいましたが、KING BROTHERSの予定を優先しながらやれるほど甘い場所ではなかったです。
レコード会社やマネージメント事務所から求められる数字や結果を叩き出す能力も持ち合わせてなく、采配を任された自分の未熟さによる限界地点だったなと今でも責任を感じてます。
活動休止についてはマネージメント会社との契約は継続予定だったのですが、その年でメジャーレーベルでの契約は終わることになりまして、、、メンバーの人生のターニングポイントなども重なったり、最後まで話し合いを重ね粘りましたが、インディーズに戻って活動を継続するという選択肢は消えました。ここまでか、、、と天を仰ぎましたね 。本当に悔しかったです。
しかしKING BROTHERSはまだまだ走り続けてますし、RINDA&MARYAもやれてますので、俺は今最高にハッピーです。
⏤上のお話をした時に「表現により誤解させてしまったかもしれない部分」「ロックンロールに対してのそうじゃないだろという思い」があったとも。当時、マーヤさんにどんな思いや葛藤があったのでしょうか、、、お聞きしてみたいです。
客席に飛び込み過ぎたってことすかね、、、今さらですが、俺にはそれしかなかったので、その一点だけに能力を全振りして今に至ります。お陰様で、世界で一番人の上に飛び込んでるロックンローラーである可能性も出てきましたけど、諸刃の剣ですよね。
ライヴで演奏するという意味で鍛え上げたロックンロールが鳴り響き、物凄いエネルギーで放たれたサウンドにみんなが熱狂し身体が勝手に動く。そんな空間を目指すべきなんだなと感じてます。あの頃は演奏よりパフォーマンスを重視しすぎてましたね。それも魅力のひとつではありましたが、そもそも演奏力もたいしてなかったし、ちゃんとドラムを叩ける人もいませんでしたから、よく考えたらあのままメジャーシーンに突っ込んだのは狂ってますよね。昔女王蜂のアヴちゃんと喋ってて、「あなたたち、練習してうまくなったら最強なのに、、、」って言われたことを思い出しました。今はステージから飛んでいかなくても良いライヴができるように頑張ろうと思ってます。まあそうなれても、たぶん、、、飛び込みますけど。
(後編へ続く)
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