Interview | THE LET’S GO’s (from Tokyo)①

Interview | THE LET’S GO’s (from Tokyo)①

THE LET’S GO’s

USツアーをやらずに
レッツゴーズを終えることになるかもしれない。
それは絶対にイヤだったんです!

Member COCO(G/Vo) Mie(B/Vo) 山田モエコフ(Dr/Vo)
Interview/Text/Photo Ayumi Tsubouchi(except US tour photos)

マインド・パンクなロックンロール・ガールズTHE LET’S GO’s(レッツゴーズ)を、前回取材したのは今年の頭のこと。ニュー・アルバム『I HATE THE LET’S GO’s』のリリース、そして春から夏にかけて行なう怒涛の全国ツアーを直前に控えたタイミングでの、5年ぶりとなるインタビューで、 “今なぜレッツゴーズが最強なのか”をメンバー3人と振り返り、探っていったわけだけど、そのツアー終了後に、まさか、こんな、ぶっちぎりのハイライトが待っていたなんて。そう、レッツゴーズがついにバンド初となるアメリカ・ツアーを決行、その記念盤となる4曲入りシングルを急遽リリースしました。数年かけて、ようやく夢を叶えた3人。そんな記念すべき瞬間を遠くから傍観していることができず、今年二度目の取材オファーをかけて年末ギリギリに再び対面、今回の一部始終を聞いてきました。シリーズ4回にわけでお届けしますので、サラッとはムリ。じっくり読んでいただけたらと思います。ぜひ。

「遠くへ、遠くへ、そうさ、行くのさ」「カッコつけてもつまらない」「それじゃ、さよなら」と歌われる新曲「Calendar Girl」。夢を抱いて、潔く次へ次へと突き進むこの女の子は、まさしくレッツゴーズのことなのだな。原稿を書きながら、今改めて胸をアツくしています。どっこい生きている3人の姿は、もはや爽快。レッツゴーズ、ますます面白いことになってきていますよ。

『I HATE THE LET’S GO’s』
ツアー中、
ぶっちゃけバンド内の空気は
最悪だった。

−−今回急に決まったアメリカ・ツアー。まずはそのきっかけから教えてください。

山田モエコフ(Dr/Vo:以下モエコフ) 言い出しっぺは、ミィさんですね。

ミィ(B/Vo) はい、私です。

−−急に決まったよね?

モエコフ 本当に、急に言ってきたんですよ(笑)。

ミィ そうなんです。だって、「やっぱり行きたくね?」って(笑)。(3月〜7月にかけてレッツゴーズが行なった)『I HATE THE LET’S GO’sツアー』が終わって、と同時に(マネージャーの)トンちゃんが正式に抜けてしまうという状況になって、次に目指す目標がなくなってしまったというか…。そこをどうしようかと考えていたんです。で、その時…これ言ってもいいの?(笑) そう、ぶっちゃけて言うと、バンド内の雰囲気も良くなくって(笑)。そのままフェイドアウトしても全然不思議じゃない空気があったんですよ。そういうところも含めて、どうしよう?…と。例えば、バンドをこのまま続けるということになったとしても、バンドがなくなってしまうにしても…って。あれ? えっ? ここまで言ってもいいの?(笑)

−−ええっ、そ、そうだったの? そんな状況だったの?

ミィ ええ、まあ、正直なところ(笑)。それで、例えば、万が一、バンドがなくなるという方向に進んでしまったとしても、あの状態のまま辞めてしまうのはイヤだなって。それじゃあ、私の気が収まらないって(笑)。レッツゴーズとしては国内でのツアーは結構やってきたけど、ずっと行ってみたいと言っていたアメリカ・ツアーは結局やってなかったので、このままでは悔いが残ると思って。

−−えっと、ここはツッコんでおかないといけないね。そもそも、なぜレッツゴーズが「もうこれで終わってしまうかもしれない」と思うまでに至ったのだろう? 春からやっていた怒涛のレコ発ツアーが終わって、一旦オフを入れたとしても、あの勢いのままさらに高みを目指して走り続ける3人の姿を誰もがイメージしていたと思うの。って、第三者としては、そう感じてしまうのだけど。

ミィ う〜〜〜〜ん(黙り込む)。

−−3月から7月まで、ストイックに、そして全力投球で長期間のツアーをしていた反動? 無意識のうちに燃え尽きてしまったというような?

ミィ うーん、メンバーそれぞれにいろんな思いがあると思うんですけど、私の場合は、トンちゃんという人が自分には重要な存在だったんですよ。トンちゃんを含めた4人=4つのタイヤがあってレッツゴーズとして走ってきたのに、その中のひとつのタイヤがなくなってしまう…という感覚で。だから、その先どう活動していけば良いのかわからない。これから(バンドを)楽しんでいけるかどうかもわからない。そんな感じになっちゃって、気持ちが崩れてしまっていたというか。でも、これからどうして良いのかわからないと考える中で、3人で何かやったことないことを挑戦してみようかな。そう、トンちゃんに「3人でもやっていける」というところを見せられるような何かをやりたいという気持ちがフッと芽生えて、(ふたりに)言うだけ言ってみたんですよ、「アメリカへ行ってみない?」って(笑)。

−−おお!

ミィ もっとぶっちゃけて言うと、その時の(バンド内の)雰囲気って1年後の計画を立てるのも難しいくらいに殺気立っていたんですよ(笑)。これも今だから言えることだけど、当時は「(バンドを)辞める辞めない」って、気持ちが萎えるくらいツラい感じでやっていて。そういう雰囲気だったから1年後の計画を考えるのは厳しいというか、想像もできなかった。逆に、想像できる範囲がせいぜい2ヵ月先くらいだったんですよね。で、もうアメリカへ行きたいし、その当時の2〜3ヵ月後というのが10月だったので、「10月にアメリカへ行こう!」って。そういう経緯からツアーが強行スケジュールになってしまったという(笑)。アメリカ・ツアーは自分たち自身に喝を入れる意味でも、自分たちだけでもやっていけるという実感を得るためにも必要なことだったんですよね。もう何かをやらないと、このまま終わってしまうって(笑)。

バンドはやっぱり
自分たちで動かさないと。
その重要さを思い知った。

−−ココちゃん、モエちゃんは、ミィちゃんの提案をどんな風に受け止めていたの?

COCO 私もアメリカへ行きたいという気持ちはずっとあったけど過去に何度か計画して、でもそのたびにこの状況じゃ行けないってなかなか実現できなくて。もちろんその時も全然そういう状況でもなかったし、私もあまり前向きにいろいろと考えられず、もうふてくされて諦めてしまっていた感じだったんですけど。ミィちゃんがこうして提案してくれた時は、何でか「行きたい!」って即答しました(笑)。振り返ってみると「行きたい」ってハッキリ思ったというよりは、「行かなきゃダメだ!」って無理やり奮い立たせた感じだったと思います。考えたり想像すると悩んで結論が出なくなることがわかってたので、あまり考えずに即答したと思います。それと、これが最後のチャンスというか、最後のチャレンジという気持ちでした。

−−なるほど。

COCO 前から知っている(米パンクバンドDanger Signsのメンバー)ダンに連絡をしたら快く「いいよ!」って言ってくれたこともあって、ギリギリのスケジュールでブッキングも大変だったみたいですけど、何とか組んでもらいました。

モエコフ 私も『I HATE THE LET’S GO’sツアー』中は本当にツラくて(笑)。さっきミィちゃんが言っていた車の話じゃないですけど、トンちゃんとミィちゃんの前輪駆動で走っていた車では私なんて、後輪の、そのまた補助輪のような存在で、バンド内で何か力になれていることがあるだろうか?くらいの感覚だったんですよ。何かを決断する力もないし、かといって、「じゃ、やめよう!」」って提案する力すらないし。そんな思いを抱えながら、自分も自分なりに何かしらチャレンジしたい気持ちは確かにあったんです。いつもツアーにくっついて行くんじゃなくて。自分たちがどこまでできるか試してみたい。自分なりにぼんやりと考えていたところに、ミィちゃんがガーッとハンドルを切ってくれたという感じで。私自身はアメリカ・ツアーに対してそこまで強い思いはなかったにしろ、やっぱり、それはやりたいって。(バンドが)ダメになっても、続行するにしても…どちらに転んでも、ずっと一緒にやってきたメンバーとしては、絶対やろうっていう気持ちにすぐに切り替わりました。

−−レッツゴーズ第4のメンバーのようなスタンスでやってきていたマネージャーのトンちゃんが、ここにきて離れる決断をしたというのは、「もう大丈夫。これからは3人でやってみな!」という激励や、3人の背中を押す意味というのもどこかに含まれているんじゃないかなって。客観的にそういう部分も見えてくるような気がするのだけど、その点についてはどう思う?

ミィ うーん、どうかな?(笑) ただ、いつまでもトンちゃんがいたらバンドとしてはダメだというレベルまで来ていたんだと思う。実際に(トンちゃんが)いなくなってからの最初の1ヵ月とか、私は本当にダメになってしまっていたし(苦笑)。でも時間の経過とともに、そして(バンドが)なくなってしまうかもしれない瀬戸際で、こうしてアメリカ・ツアーへ行ったりして(笑)。そんな中でも「あ、こういうことだったんだ」とふと思える瞬間を積み重ねながら、前へ前へと進んでいたところはありました。うん、やっぱり自分でやんないとダメっていうか。(トンちゃんは私たちにとって)親みたいな存在で、いろんなお世話してもらって、何かあった時にはハッキリと口に出して言ってくれるという、厳しい存在ではあったんですけど、ここにきて自分たちでバンドを動かすことの大事さを知ったというか。今回のツアーでは(ココとモエコフを見つめながら)ふたりもめっちゃ頑張ってくれたし。航空券の手配や関わってくれた人たちとのやりとりとか、それぞれ「自分が頑張る!」っていう姿勢でやっていました。

−−急遽決定したアメリカ・ツアーだけど、だからこそ、間延びすることなく、3人がギュッとひとつにまとまることができたという感じもあるのだね。

ミィ ですね。そして、それをアメリカ・ツアーが始まってからひしひしと実感として感じ取ることができました。私たちもできるじゃん!っていう感じを。

−−ひとつの公演を終えるごとに実感が深まっていくという。

ミィ うんうん、ですね。アメリカへ行く前には新曲も作ったしね。

−−それが自主製作でリリースしたシングル盤、だと。その内容については最後にお話を聞くとして、まずはアメリカ・ツアーについて聞いていくとしましょう。

全員 わかりました!

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